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男鹿駅伝

2024年 一般の部5位

  • 1区(14.9km):土井健太郎 46’19(区間4位)
  • 2区(11.8km):尾形拓海 41’11(区間12位)
  • 3区(7.5km):馬場浩太郎 24’32(区間7位)
  • 4区(3.8km):清水川竣 14’44(区間3位)
  • 5区(8.2km):高井大和 26’41(区間7位)
  • 6区(9.9km):山崎好聡 33’20(区間8位)
  • 7区(10.1km):伊藤伸一 34’34(区間7位)
今年は土崎陸友会が発足して50周年。結果は一般の部5位でした。

1区の土井選手は今年始めに故障してしまい、昨年に引き続き出場が危ぶまれた時期もありましたが、何とか間に合わせ貫禄の区間4位で2区へ。

2区は今年から社会人となった新加入の尾形選手。強烈な登りがある2区を前半は快調に飛ばし一時3位に順位を上げましたが、後半は暑さもあり最終的には5位で3区へ。

3区は秋田大学の馬場選手。アップダウンの激しいコースをうまく走り、おそらく3区の陸友会最速タイムで走り抜けてくれました。

4区は清水川選手。2年前にはこの区間で区間賞を獲得した実績もありますが、今年はさらにその時のタイムを約20秒も上回る区間3位の安定した走りで順位を4位へ引き上げる走りを見せてくれました。

5区は男鹿駅伝初参加の高井選手。5区は全体的には下り区間ですが、意外と登りもある難しいコースです。後ろからきた天童東村山の選手に越されはしましたが、1チーム抜き4位で6区へ襷渡ししてくれました。

6区は山崎選手。アップダウンが激しいコースですが終始安定した走りで3位の天童東村山を追いましたが、中々差が詰まらず。3位と約30秒差の4位で最終7区へ襷を渡してくれました。

アンカーは最年長の伊藤選手。前を追ってくれましたが、ここも中々追いつかず逆に後ろから追い上げてきた山形南陽チームにかわされ全体5位でフィニッシュ。伊藤選手は今年はスピードが上がらず苦しみましたが、区間7位の好走でゴールテープを切ってくれました。

今年は陸友会発足50年であることと歴代最高のチームに仕上がったことで3位以内を目指していましたが、惜しくも達成はなりませんでした。ただ若い選手が多く活躍したこともあり、来年以降も期待できるチーム状況は続きます。

来年こそはまた3位以内に食い込めるようにまた1年練習に励みたいと思います!

2023年 一般の部7位

  • 1区(13.2km):尾形拓海 40’45(区間3位)
  • 2区(11.8km):籾山雄介 41’34(区間11位)
  • 3区(7.5km):泉山友樹 25’13(区間9位)
  • 4区(3.8km):保坂貴俊 16’04(区間17位)
  • 5区(8.2km):山崎好聡 26’00(区間5位)
  • 6区(9.9km):伊藤伸一 33’29(区間9位)
  • 7区(10.1km):清水川竣 34’23(区間12位)
今年はケガで土井選手を欠くオーダーでしたが、2年連続の入賞を果たすことができました。

1区の尾形選手(秋田中央高校出身、武蔵野学院大学の現主将)が区間3位と良い流れを作ってくれ、今年好調の籾山選手は準エース区間でアップダウンの激しい2区をうまく走り全体5位で襷渡しをしてくれました。

その後は3区泉山選手、4区保坂選手が粘りの走りを見せて4区終了時点で6位で通過。5区山崎選手、6区伊藤選手は安定した走りで前を追い、最終区の清水川選手で一旦5位のチームに追いつきましたが、最終的には総合7位でのゴールとなりました。

今年は直前でケガ人が多く、大会直前まで何度か区間変更があったりと最後までどうなるか分からない大会でした。しかしエースを欠く中でも、しっかり入賞できたことはチーム力の底上げができているように感じます。
来年は万全の状態で挑み、また3位入賞以上の成績を残せるように頑張っていきたいと思います。

2022年 一般の部2位

  • 1区(13.2km):土井健太郎 40’53(区間2位)
  • 2区(11.8km):才村流成 40’52(区間9位)
  • 3区(7.5km):泉山友樹 25’00(区間10位)
  • 4区(3.8km):清水川竣 15’05(区間賞)
  • 5区(8.2km):籾山雄介 25’57(区間3位)
  • 6区(9.9km):山崎好聡 33’14(区間8位)
  • 7区(10.1km):伊藤伸一 33’51(区間4位)
1区土井選手が大学生に10km過ぎまでくらいつき、区間2位と最高の滑り出し。その後も全員が大崩れすることなく、さらに清水川選手は区間賞の快走もありチームは総合2位とここ数年で最高の結果になりました。
優勝した天童東村山には離されましたが、コロナ禍でも厳しい練習を詰んだ成果を発揮することができました。
総合成績表